健康な細胞は、成長や分裂に必要なタンパク質を供給するために、遺伝情報が記されているDNAを、RNAに写しとって、それをタンパク質に翻訳するという作業を脈々と続けています。
しかし、細胞の一生のなかでは、栄養が急になくなってしまったり、急激に温度が変化したり、物理的な衝撃で損傷したり、など、危機(ここでは細胞ストレスと呼びます)にさらされることがあります。細胞ストレスに見舞われた時、健康に過ごしていた細胞は、ストレスの前と同じように、タンパク質を作り続けるのでしょうか?
実は、そういうわけにはいかなくて、細胞は生き延びるために、健康な時に必要とされていたタンパク質の供給を一旦停止して、代わりに、細胞ストレスに対応するためのタンパク質を合成して、急場を凌ぎます。
高温にさらされたゼブラフィッシュの皮膚細胞
細胞ストレスを感じて、タンパク質の供給を一旦停止する時に、細胞は、タンパク質を翻訳していたRNAと翻訳装置を、ごそっと塊にしてストレス顆粒(ストレスかりゅう、英語では、Stress granule)とばれる大きな粒を作ります。細胞ストレスが去ったときには、このストレス顆粒が解消され、解放されたRNAと翻訳装置は、再び、健康状態を維持するためのタンパク質を開始します。RNAと翻訳装置を壊してしまうと、また一から作るのは大変ですが、再利用できるようにストレス顆粒として一旦しまっておくのは、合理的です。
ストレス顆粒は、細胞ストレスに応じて一過的に作られますが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で変性して失われる神経細胞「運動ニューロン」に溜まる異常なタンパク質の塊の源になっているのではないか?という説が提唱されています。細胞ストレスが、何度も繰り返されたり、常態化すると、ストレス顆粒の解消がいつしか不完全になり、解消しきれなかったストレス顆粒の残骸が、やがては異常な塊となって運動ニューロンに蓄積する、という予想です。
ALSの運動ニューロンに蓄積する異常なタンパク質の塊は、TDP-43というタンパク質が主成分として含まれていますが、TDP-43は、一部のストレス顆粒に含まれていることが知られています。また、ALSの原因となるTDP-43の変異の一部には、細胞ストレスが加わると、TDP-43を細胞核から漏れ出やすくして、細胞質にあるストレス顆粒に移行しやすくする効果があります。解消が不十分なストレス顆粒の残骸に、TDP-43が含まれていて、それがALSでは異常な塊に成長するのでしょうか。ALS発症の平均年齢が55歳ぐらいと言われていますから、この予想が正しいとしても、長い期間をかけてストレス顆粒のTDP-43が異常な塊に成長することを証明するのは、容易ではありません。
一方で、近年の研究では、ある条件でTDP-43の塊を形成させると細胞が損傷を受けることがわかってきていますが、その時に形成されるTDP-43の塊には、ストレス顆粒に含まれる他のタンパク質は検出できないことも明らかにされています。このような研究結果からは、ALSに見られるTDP-43の異常な塊は、ストレス顆粒に由来しない別のルートで作られる、という考えが提唱されています。
97%のALSでは、運動ニューロンにTDP-43の異常な塊が形成されることが知られています。その異常な塊の源はなんなのか?という問題が解ければ、ALSの原因の理解が大きくすすむと期待されています。TDP-43の異常な塊が、ストレス顆粒が進化したものなのか、ストレス顆粒とは別のルートで作られるのか?あるいは、両方とも正しいのか、誤っているのか?という論争の解決は、重要な課題です。
TDP-43が細胞内につくる塊には、ALSの運動ニューロンに見られるような異常な塊がよく知られていますが、実は、筋肉の細胞ではある種のTDP-43の塊が、筋肉の形成のための重要な働きを担っていることが知られています。次はこのことについて解説します。
細胞に凍てる雫、TDP−43液滴とALSの接点を探る(10)へ続く
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「細胞に凍てる雫、TDP−43液滴とALSの接点を探る(9)」への2件のフィードバック